アメリとストックフォトとソフィスティケーション

アメリ

2001年のフランス映画で数々の賞を獲得した「アメリ」は、個人的に最も好きな映画の一つです。

シュールな物語、主人公の演技、映画全体を通じた画面の色合い、ヤン・ティールセンの音楽、どれをとっても素晴らしくDVDのモーターが擦り切れるほど見てしまいました。

そのように個人的には大好きで、商業的にも成功し、賞を総なめにした「アメリ」ですが、当時辛口の批評家の中にはこの映画を「リアリティーがない」として批判していた人たちも少なくありませんでした。

彼ら辛口批評家が口をそろえて指摘していたことは、現実にはフランスの社会に沢山いるはずの「移民たちの姿」が映画からほとんど「排除」されてしまって、この映画がもっぱら「フランス人(白人)中心主義」の視点から描かれている、という批判でした。

ソフィスティケーション

確かに批評家たちの意見は、フランス社会で問題となっている移民問題や人種的なマイノリティ問題を軽視するべきではないという警鐘を鳴らす点ではその通りだと思いますが、映画(あるいは写真も)を撮るクリエイター側にとっては、どこまでリアルさを追求すべきかということは難しい問題です。

映画の手法の一つに「ソフィスティケーション」という手法があると聞きました。私の理解が正しければ、ソフィスティケーションとは、その映画のテーマに関係のないことを画面から次々と取り除き、テーマ自体を浮きだたせる映像手法のことです。

「アメリ」のストーリーは、子供の頃からコミュニケーションが得意ではなかった22歳のカフェ店員が、小さな人助けや恋愛を通じて、自分の殻を破って外の世界に一歩踏み出していく勇気をもつ、という内容です。

確かに、彼女が一歩踏み出していこうとする外の世界(社会)に、映画全体を通じて移民などの人種的マイノリティーの姿が希薄だったことは評論家の言うとおりかもしれません。

しかし、映画を作っているクリエイター側の立場から見れば、映画の中心テーマはアメリの内面の変化や微妙な心理状態の移り変わりの推移を丁寧に描くことであり、まさにその部分がこの映画が世界中の人から支持された部分だと思います。

移民問題や人種的マイノリティーという大きな社会的な問題はあっても、「アメリ」を撮影する際ににそれを映しこんでしまったら、ストーリーが散漫になるために、そうした社会問題的要素は一旦排除し、主人公の内面の描写を際立たせていこうという苦渋の選択がなされたのかもしれません。

ストックフォトとソフィスティケーション

現実をどこまで画面(写真)に写り込ませるか、ということは写真を撮る者(写真作家、フォトグラファー、報道カメラマン等)にとっても作風を決定する大きな要素となるでしょう。

ストックフォト(とりわけマイクロストック)はソフィスティケーションが多用されるジャンルだといえます。

マイクロストックでしばしば使われる白バックやカラーバックは、モデルさんや商品以外の被写体を一切「排除」して、中心に置かれたモデルさんや商品の情報だけを浮き立たせる(ソフィスティケートする)撮り方です。

また、ステレオタイプ的なイメージを利用しながらテーマをソフィスティケートする撮り方もあります。

例えば、ストックフォトで人気のある「ファミリー」テーマを撮る際に、おしゃれなソファーやテーブルが置かれたリビングルームや芝生の庭付きの家の中に、夫婦と子供とおじいちゃんとおばあちゃんを配置すれば、家族団らんのイメージがくっきりと浮かびあがることでしょう。

その中では、ファミリーの典型として、(きれいな部屋や一戸建ての家という)中産家庭的なイメージを取り入れて、(高度経済成長期以来の)伝統的な「ファミリー」の理想像が提示されています。

ただ、もしそのような写真を「アメリ」の辛辣な批評家たちが見たら、それは「中産家庭の理想像」という幻想にソフィスティケートされすぎて「リアリティーがない」と言われてしまうかもしれません。

高度経済成長期からバブル崩壊期までは「一億総中流意識」といわれたように、国民的な価値観がまとまりやすく、ストックフォト含めた日本の広告写真の中では盛んに「中産階級的家庭像」が描かれました。

きれいなリビングルーム、庭付きの白い一戸建ての家という現在のストックフォトでも好まれるイメージは、高度経済成長期以降に形成されてきた伝統的な中産家庭の理想的イメージです。

しかし、バブル崩壊以降、国民的一体感をもたらしていた中産階級的な家庭像や理想像は崩壊し、未婚や離婚の増加、経済格差の増大、LGBTの権利擁護の問題や高齢者の孤独化など、現在では家庭を取り巻く環境や価値観は中産家庭というイメージでは説明できないほど細分化されています。

そのような多様な諸問題が発生しているリアルな現実の中で、ストックフォトとして(ファミリーのテーマの撮影の際に)もっぱら伝統的な中産家庭の理想像という方向で写真を撮り続けることは、はたして適切なのかということは考えてみる必要がありそうです。

ファミリーテーマに限らず、他のテーマにおいてもどこまでリアルさを追求しそれを商用写真に取り入れていくか、あるいは取り入れていかないのかということは、各々のフォトグラファーに委ねられる問題で、これが正解という答えはないでしょう。