写真家とフォトグラファーとストックフォト

「写真家」と「フォトグラファー」

「写真家」も「フォトグラファー」も日本では総称的に「カメラマン」と呼ばれていますが、少し細かく見れば、「写真家」と「フォトグラファー」には本質的な違いがあります。

「写真家」と呼ばれる人たちは芸術性の高い写真を撮っているいわゆる「写真作家」の人たちのことで、一方「フォトグラファー」は特に英語で言うところの「commercial photographer」つまりクライアントに依頼されてもっぱらクライアントのために撮影を行う商用カメラマンを意味しています。(因みに欧米で「カメラマンcameraman」という言葉は写真ではなく映像を撮影する人たちに対して使われていますが、日本では慣習的に写真や映像を撮る人の総称として「カメラマン」という呼び方が使われているようです。)

「フォトグラファー(commercial photographer)」が、クライアントの求めるイメージに従って写真技術を提供するのに対し、「写真家(写真作家)」は(クライアントのありなしにかかわらず)自発的に自らの衝動にしたがって写真を撮り、そのなかで写真家自身の個性そのものを表現する人たちです。

「写真家」と「フォトグラファー」はそもそも写真を撮る立脚点が大きく異なっています。

「フォトグラファー」はもっぱらクライアントのために写真を撮り、「写真家」は自分(自己表現)のために写真を撮る。やや極論すれば、フォトグラファーには強い個性や自己表現は必要なくクライアントの要求に応じられる技術があればよく、逆に写真家にはクライアントの意向を忠実に映し出す技術よりも強烈な個性が一つあればよいのです。

とはいえ、実際にはフォトグラファーにも個性的な表現が求められる場合も、写真家にもクライアントの意向と妥協しながら自己表現をせざるを得ない場合も多々あると思います。また「写真家」と「フォトグラファー」の区分けも常に厳格に分かれているわけではありません。有名な「写真家」になればなるほど、同時に(数々のクライアントから撮影依頼があり)「フォトグラファー」として撮影しなければならない機会も増えていくでしょう。

写真家とフォトグラファーのアプローチの違い

「写真家」と「フォトグラファー」の間にそうした一定の流動性はありつつも、クライアントのために撮る写真(フォトグラファー的アプローチ)と、自己表現としての写真(写真家的アプローチ)とでは、予算を含めた撮影企画の立て方が異なります。

「フォトグラファー的アプローチ」の場合、依頼主のイメージを写真として形にするためにはまず、どれくらいの時間が必要なのか、経費はいくら必要なのか、収益はどの程度になるか、という合理的な時間と経費、収益の捻出から撮影の企画や工程を考えなければなりません。

これに対して「写真家的アプローチ」の場合、時間や経費を度外視して、たとえ赤字となっても、良い作品を撮ること(十全な自己表現)が優先されます。例えばある写真家が何年間も世界各地を放浪し、1冊の写真集を出版する。そしてその写真集が評判となりNYで個展を開催し成功を収めたとしても、写真家の当初の撮影企図は、だれに頼まれるわけでもなく、利益や身体の危険をも顧みずに自己表現を行いたいという写真家自身の内面から生じる創作的な衝動なのです。

ゴール地点の収益という合理的な観点から企画を練るフォトグラファー的アプローチから見れば、そのような写真家の行動は「賭け」であり「ギャンブル」のような無謀なものに写るかもしれません。けれどもそのような写真家的無謀さの中でしか撮れない写真があることも事実です。成功した写真家の写真に、堅実なフォトグラファーの写真よりも大きな魅力や訴求力があるとすれば、それは文字通り身体を賭して撮影を行うからだと思います。

写真家とフォトグラファーとストックフォト

純粋な写真芸術的観点から見れば、写真家的な生き方や撮り方が理想なのかもしれません。とはいえ現実社会の中では、ひた向きな芸術の探求者が常に良い生活者になれるとは限りません。

しかし幸いなことに、我々はストックフォトを通じて、今までよりもはるかに容易にフォトグラファーと写真家の間をフレキシブルに移動できるようになりました。

ストックフォトの実に面白い点は、ストックフォトがクライアントの見えない緩やかな依頼撮影だという点です。ストックフォトでは絶対的なクライアントというものは存在しません。クライアントに直接依頼されたわけではないので、カメラマンは自分の撮りたいものを自由に撮影することができます。その一方で、クライアントを想定して撮影すること、つまり潜在的なクライアントの意向を「忖度」(市場調査)してどのような写真を撮ればよいかをあらかじめ計算して撮影を行うことも可能です。

このストックフォトの両義性と柔軟性の中で、カメラマンは自在に「フォトグラファー的アプローチ」と「写真家的アプローチ」の間を行き来することが許されます。例えば普段フォトグラファーとして仕事をしているカメラマンが、ストックフォトでは写真作家的な活動を試みることも可能でしょうし、逆に、普段フォトグラファーとして活動する人がさらにより多くの利益を求めて益々フォトグラファー的な(購入者を想定するような)撮り方でストックフォトに参加することも可能です。もちろん、別の仕事を持っている人もストックフォトの中で「週末フォトグラファー」「週末写真家」となることもできるでしょう。

ストックフォト市場は成熟期に入り伸びが少なくなったという見方もあるかもしれませんが、世界とつながったプラットフォームとしてのストックフォトの場は、写真流通の基本的なインフラとしてもはや欠かすことはできなくなりました。それに、斬新的な技術を用いた写真や、従来の価値観に挑戦するような写真は、まだまだストックフォト市場の中でごくわずかしか流通していないように見えます。成熟しているのは従来的なフォトグラファー的な撮り方の市場なのかもしれません。潜在的なストックフォトの市場はもっと広がっているのではないかと感じます。