この写真集は、2020年に東京と京都で開催されたソール・ライターの写真展の「公式図録」として編集されました。309ぺージに及ぶこの本の中には、初公開作品を含む、彼の非常に多くの作品が収められています。
スナップ、ポートレート、セルフポートレート、ファッション写真、絵画作品まで、 ソール・ライターという一人の表現者の全体像が、丁寧にまとめられています。
特に、妹デボラやパートナーのソームズを撮ったいくつかの写真は、 街のスナップとは異なる親密な空気感をまとい、 ライターの人間性を深く感じさせる貴重な写真となっています。
まだモノクロ写真が主流だった1950年代からカラーフィルムでニューヨークの街角を撮っていたソール・ライターは、「カラー写真のパイオニア」として有名ですが、彼は「色彩の魔術師」という異名も持ち合わせています。それは、彼の写真の色合いが、鮮やかでありながら決して派手ではない独特な色味を持っているからです。
赤、黄色、青といった原色が、街の湿度や光の反射と溶け合い、 まるで水彩画のように柔らかく滲んでいるのがライターの色味の特徴だといえます。特に雨の日の写真は圧巻で、 濡れた路面の反射、曇ったガラス、傘越しの色の滲みが、 抽象画のような世界をつくり出しています。
この写真集の中でも、色彩の魔術師としての巧みさがページをめくるたびに示され、 ライターが色で世界を語る写真家であったことを改めて実感させられます。
ソール・ライターの写真は、常に「見えるもの」より「見えないもの」を読者(写真を見る者)に意識させるような構図で撮られています。
例えば、画面の大半を占める壁、ほんの隅にだけ写る人物、ガラス越しの反射と実像の重なり、霧や雨粒による視界の曖昧さなどは、彼が好んで用いた代表的な構図といえます。
ソール・ライターの写真にはー前回紹介した奥山由之氏の写真もそうでしたがー主題がはっきり写っていないことが多いです。人物が画面の端に小さく写っていたり、傘や窓ガラスが大きく手前を占めていたりするのです。
これは意図的にいわば「情報不足」の状態を作りだすことによって、写真を見る者に「情報の不足分」を想像させようとする構図です。何が起きているのか、どんな感情が流れているのか、なぜそうなったのかという理由など、ライターはそんなことは説明しない(写さない)。説明しないことで、写真を見る者が「自分の物語」を写真の中に見つけられるようにしているのです。そしてこの時に写真は、作者(写真家)と読者(写真を見る者)とが共に参与し作り上げる物語となるのです。
この写真集の中では、このような構図が非常に多く用いられ、ソール・ライターらしさが凝縮された編集となっています。
ソール・ライターの写真には、常に優しさがあります。それは、被写体に対する距離感の取り方に表れています。
ライターが見つめていたのは、特別な瞬間ではなく、誰もが見過ごしてしまうような日常の断片でした。雨の日のバス停、傘をさす女性の後ろ姿、カフェの窓越しに見える人影、雪の日の静かな街角。どれも劇的ではありません。しかし、彼のまなざしを通すと、世界はこんなにも優しくて平和に満ちていると気づかされるのです。