お金か名誉か?——ネット上のフリーワーカー
フリーワーカー
名誉のために命を捧げられるか?と聞かれたら、昔のサムライではあるまいし、今はそういう時代ではないでしょうと思いきや、現在、ネット上には名誉(正確には「いいね」)のために命を犠牲にする人も増えているようです。ある調査によると、世界中で2015年にSNSなどに投稿する写真を撮ろうと命を顧みず危険な場所で自撮りをして、実際に死亡してしまった人の数は、その年のサメに襲われて死亡した人の数よりも多いようですし、ロシアでは同年自撮りによる死亡事故は数十件に及び、負傷者は百人を超え政府が警告を出す事態になっているそうです(参照)。
彼らは「いいね」というインターネット上での評判や名誉をたくさんもらうために、危険な自撮りをも厭わない人たちなのです。
前回の記事では「最後通牒ゲーム」の心理とクリエイター報酬の関係に焦点を当て、報酬の分配率が40%の境界線を下回ると報酬に対する不満が生じる可能性が高まってくることをみてきました。ところが現在、ネット上に限って言えば、報酬が著しく低い、もしくは無償にもかかわらずに労働力を提供する人たち(=フリーワーカー)が数多く存在しています。ストックフォトのクリエイターにとって最も卑近な例で言えば、無料素材ダウンロードサイトに写真を提供する人々です。彼らはなぜ利益にこだわらず手間のかかる撮影やアップロード作業をほとんど無報酬で行っているのでしょうか?
この記事では、インターネット上で台頭しているフリーワーカーについて考えてみたいと思います。前回の記事で見てきた「最後通牒ゲーム」の心理とは別の行動様式を取る人々についてです。
インターネットとデジタルヒーロー
インターネットは一瞬にして世界とつながることができるツールです。リアル世界では名声や評判の伝播には時間がかかりますが、ネット上では一瞬で評判の情報が世界中に拡散していきます。「普通の人」が一夜にして「ヒーローやヒロイン」になり得る世界が、インターネットの中にはあります。このようなデジタル・シンデレラ的世界の中で注目を浴びるためには、「いいね」に象徴される名誉の数が必要で、それは時としてお金や命さえも上回る価値があるようだ、ということをSNSの自撮りに命を懸ける人の例は示しています。
もちろん、命を顧みないデジタル・ヒーローは行き過ぎだとしても、ネットの世界においては「いいね」という承認要求を満たすために無償でネット上でいろいろなことに協力する人々(=フリーワーカー)が増えています。
例えばWikipediaは誰もが無料で使えるネット上の百科事典ですが、Wikipediaの各項目を書いている人はどんなに詳細で優れた解説文を書いてもお金を受けとることはできません。それにもかかわらずに世界中にWikipediaへの執筆者が広がっているのは、自分たちが記した内容が多くの人の目に触れることで「いいね」的な承認要求を満たすことができるからです。同様にSNSへの投稿やブログへの投稿も多くの場合は承認要求に基づいた行為と言えるでしょう(ただし芸能人のSNSや広告付きのブログでは宣伝やクリック報酬など金銭的な利益がメインとなっていることもあります)。YouTubeの場合もほんの一握りのYouTuberは金銭的な報酬が得られますが、大多数の人々は承認要求を満たすために投稿を続けています。
そしてもちろん、写真に関わるクリエイターの中にも多くのフリーワーカーがいます。無料の写真素材サイトに投稿する人たちです。彼らは、金銭的な利益のために作品をサイトにUPするよりも、自己の承認要求を満たすことに重きを置いています。彼らにとって多くの写真が無料素材サイトでダウンロードされることは、SNSで「いいね」をたくさんもらうのと同様に、名誉や評判を獲得することになるのです。
確かに、大手の有料のストックフォトサイトに参加しているクリエイターも「名誉」の欲求を満たしたいという思いはあると思いますが、有料のストックフォトサイトのクリエイターたちは、利益の伴わない名誉よりも、名誉の伴わない利益の方を好むことがしばしばだと思います。利益がでない撮影を頻繁に行ってまで名誉を獲得しようとするほど名誉(承認要求)を重視していないことがほとんどでしょう(特に上位の人は)。
「労働」と「遊び」
では、フリーワーカーの人たちはなぜ利益にそれほどこだわらないでいられるのでしょうか? おそらくその理由は、彼らの行う無償の労働は実際には「労働」ではなく「遊び」だからではないでしょうか。「労働」が金銭と引き換えに行われる「苦役」だとすれば、フリーワーカーの行動は「労働」という苦役ではなく、むしろお金を払ってでもやりたい「楽役」=「遊び」だからにちがいありません。「遊び」は経済合理性の枠外に置かれた行為で、多少の損益が出たり身の危険を感じたりしても、精神的な高揚のために行われる行為です。「遊び」は「労働」とは異なり、金銭的な報酬がなくても続けることが可能です。
とりわけ一部の無料素材サイトには、ダウンロード数に応じたランキングシステムや、提供者(フリーワーカー)と素材をダウンロードした人との間のコミュニケーション機能(コメントを通じた双方向のやり取り)など、SNS的な評価システムやコミュニケーションシステムが盛り込まれ、「遊び」を刺激するシステムがいくつも用意されているようです。
今後の可能性
インターネットの環境下では、「いいね」に象徴されるように目に見える形で「承認要求が満たされた」ということが数的・量的に分かるようになりました。「いいね」ボタンが押されたら、あるいはダウンロードされた写真にコメント欄でお褒めの言葉をもらったら、「自分が承認された」ということがタイムリーに表されるようになったのです。このような名誉の可視化と定量化が可能となったインターネットの中で、ゲーム感覚で承認の収集を楽しむ人たちは益々増えていくことでしょう。
現在はまだ通常のストックフォト販売サイトと、無料素材供給サイトは、質・量ともに大きな開きがありますが、海外のいくつかの無償ダウンロードサイトや国内でも無料イラストの某サイトなどが「使える」と評判になっているようです。
人は利害がなければ行動しないという経済合理的な考え方は、インターネットの世界では絶対的なものではないようです。無数のフリーワーカーの協力を得られれば、既存のビジネスはさらに安価に規模を広げることもできるでしょうし、あるいはまた既存のビジネスとともにフリーワーカー自身が名誉や評判を貨幣のように流通させながら(例えば一部の有名なYouTuberや広告や課金システムと融合した芸能人のブログやSNSなど)名誉や評判を換金化するビジネスがもっと広まっていくことになるでしょう。
もちろん、既存のストックフォトサイトもそのような流れに合わせて様々な改変を行うでしょうし、クリエイターもそれに連動して意識面を含めた切り替えも必要となってくることが予想されます。
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